鶏声磯ヶ谷美術館

□ 作品紹介 □

赤絵金彩花紋見込宝積山図輪花鉢
赤絵金彩花紋見込宝積山図輪花鉢 彩色赤絵花鳥図兜鉢
彩色赤絵花鳥図兜鉢

1822年に金沢で民山窯が開かれたのが赤絵細描と呼ばれる画風の始まりで、1835年に山代で開かれた宮本窯の飯田屋八郎右衛門によって完成されたといわれており、赤絵に金を施したものが赤絵金彩、赤絵に他の色絵を少し施したものが彩色赤絵と呼ばれています。
金欄手象人物図平鉢
金欄手象人物図平鉢

金欄手というのは、この平鉢の縁絵に描かれたように赤地の上に金彩を施した画風で、1865年から1868年にかけての慶応年間に京都の永楽和全が山代の永楽窯で伝えました。
盛金絵寸色絵見込遊女観桜図平鉢
盛金絵寸色絵見込遊女観桜図平鉢

盛金絵付は明治15年に清水美山によって始められました。この画風の線には太いものと細いものがあり、細い線によるものが技術的に困難とされています。
色絵花島図深鉢
色絵花島図深鉢

九谷焼の色絵は古九谷窯に始まりました。江戸時代は和絵具で描かれていましたが、明治に入ると洋絵具が使用され、華やかな密画を描いたものが盛んに作られました。ところが明治30年頃から和絵具による鮮明な感じのものが好まれるようになり、再び和絵具を使用した作品が中心となりました。
色絵切割花島図深鉢
色絵切割花島図深鉢

切割というのは、縁絵に細い三角形を幾つか並べて描き、色を変えて紋様を描くことで見込に描かれた絵を引き立て、絵全体を纏め上げる役割をしているもので、初代武腰善平が明治16年に始めたとされています。
金欄手割取色絵人物山水花鳥図蓋物
金欄手割取色絵人物山水花鳥図蓋物

金欄手割取というのは、慶応年間に九谷生三が完成されたといわれる画風で、皿類であれば縁絵の部分に花瓶など丈の高い器には上部と下部に金欄手を描き、見込や中問の部分を三つに区切って人物・山水・花鳥を描きます。
金彩色絵龍上観音図花瓶
金彩色絵龍上観音図花瓶

金彩色絵というのは、色絵をつけて焼きあげ、その上に金彩を施し、低温で再び焼きあげる手法です。
金彩色絵更紗小紋図花瓶
金彩色絵更紗小紋図花瓶

この画風は三代目上出喜山が戦後に開発したもので皇族方の贈答用によく使用されています。
金彩色絵印度象に人物の置物
金彩色絵印度象に人物の置物

九谷焼の置物作りは、明治5年頃から本格的に始められました。初期にはこの作品のような印度象が作られていましたが、その後工夫が重ねられ、干支や縁起の良いものが作られるようになりました。
青手総絵朝顔に雀図手付鉢
青手総絵朝顔に雀図手付鉢

九谷焼の青手も古九谷窯に始まったのですが、その後に開かれた春日山窯・若杉窯・小野窯・民山窯では優れた青手を作ることが出来ませんでした。しかし吉田屋窯に至ると古九谷窯に近いものを作ることに成功しました。
色絵青粒細字香炉
色絵青粒細字香炉

九谷焼に細字を書くようになったのは明治15年頃で、野村善吉・宮荘一藤らが始めたといわれています。そして大正元年頃に小田清山が草行体で書くようになったのがきっかけで、盛んに使用されるようになりました。青粒というのは大正元年頃から始められました。青色の細かい点を密集して地色の上を彩る画風で、九谷焼独特のものとして喜ばれています。
盛金絵付花詰図茶器一組
盛金絵付花詰図茶器一組

花詰の画風は大正2年に水田生山が開発したものです色々な花をびっしりと描き込むという華やかな画風で、大正時代に盛んに描かれました。